依存症

ひとたび依存症の進行が始まったら、快感は抑えられ、不足感が表面化してくる。不幸なことに、依存症で感じられなくなってくる感覚は、薬による快感だけではない。ほかの経験、例えばセックス、おいしい食事、運動などから得られる楽しみにも影響していく。

強烈な快感の反復のためにドーパミンが搾り取られ、神経が麻痺して普段の日常が色あせてしまう。そのため刺激を求めずにおれなくなる。そして依存行動を繰り返すことで、さらにドーパミンが枯渇し、さらに日常の癒しや安らぎが失われてしまう。その繰り返し。

 

習慣的に薬物を使用してきた依存症者では、脳が長期的な変化を起こしている。生化学的変化、電気機能的変化、さらにはニューロン構造の変化まで起こる。

 

ドーパミンに誘発された快楽を経験すればするほど、その快楽を繰り返したくなる。しかし、報酬回路が再配線されて耐性のレベルが上昇した結果、その行為から満足感を得るには、一層努力しなければならなくなる。だからこそ、依存者は常に、より大きなハイを求めているように見える。

 

「あと1回だけ」などありえない。たった1回でもまた手を出してしまえば、もう1回、もう1回とさらに強い欲求が作り出されてしまう。

 

一定の条件さえ整えば、誰でも薬物依存症者になりうる。

 

 直接的な「恐怖」と、何らかの快感につながる「ごほうび」の二重構造、さらには「変性意識状態」に伴う精神の影響こそが、洗脳や依存症に支配された人に共通する「二重洗脳」とでも呼ぶべき構造に他ならない。

 

脂肪と糖は同時に摂ると極端に依存性が高くなり、それぞれ片方だけを摂る場合よりもはるかに大きな影響が快感回路に生じる。

 

私たちの食生活を歪めている最大の要因は、脂肪ではなく糖分であるという証拠が続々と集まっている。

 

ポルノサイトは、多種多様のよくある倒錯趣味を作り出し、それらを混ぜ合わせて映像化している。遅かれ早かれ、ポルノサイトのサーファーは、自分が持つ性的嗜好の様々なボタンを一度に全部押してくれる必殺のコンビネーションを探し当てる。そのあと、そいった画像を繰り返し眺め、自慰にふけってドーパミンを脳内に放出させると、性的嗜好要素のネットワークが強化される。そのうち耐性が形成され、性的発散の快楽は、攻撃性の発散という快楽で補わなければならなくなる。そのため、性的イメージと攻撃的イメージはいよいよ混じり合うようになる。こうして、ハードコアポルノにSMのテーマが増えていく。

概してポルノのヘビーユーザーは、リアルな相手に性的興奮を感じるのが難しくなり、早期勃起不全障害に襲われる。

 

ギャンブラーは、結果のランダムさにやみつきになってしまう。

 

快楽追求型の人にとって本当に重要なのは、自分が快楽を覚えるかどうかなので、その人の関心は常に自分の感覚にばかり向いている。そのためその人は、何をしても心から打ち込むことができない。仕事をしていても勉強をしていても、結婚をして家庭を持っても、その時感じる感覚が快か不快かにばかり意識が向いている。ほかに快感を得る道はないかと常に探している。このように、最終的なゴールが快感を得ることである限り、その人は何をしていようが、愛する人に対しても自分に対しても不正直にならざるを得ない。なぜなら、その人にとって本当に重要なのは相手のために何かをすることではなく、自分が快感を得ることだからだ。自分が得る快感を中心に生きている人は、他人がどう感じているかを考えることができない。

他の人がどう感じているかを考えることは、アディクションから回復するために学ばなければならない大切な事柄の一つ。

 

快感追求型アディクションの人は、快感が心身に引き起こす強い感覚の力で心の渇望を満たそうとする。

 

アディクションの人(の人生)は、

「心温まる気分」より「強烈な気分」の方が重要。

良い意味での「力強さ」の感覚が内面に定着しない。

過剰で無意味な享楽主義に陥る。

 

人生の「意味」、物事の「意味」を追求することができない人は、アディクションに冒される可能性が高い。

 

 

 人生とは古い自分を更新して新しい自分に変えてゆく継続したプロセス。

人生とは意味を引き出す機会がたくさん詰まった、苦闘と挑戦の連続。

 

アディクションから回復する努力をすることが、人生を十分に生ききるためのスキルを学ばせてくれる。

 

ストレスを減少させる行動戦略(瞑想や運動など)がストレスホルモンの高まりを抑え、ストレス性の過食を減らす効果がある。

 

真に意味のあることから注意をそらさないようにするため、生活をシンプルにするように心がける。

 

「今という瞬間を大切にし、それとともに生きることにより、私たちはある程度時間の観念から離れることができ、また時間というものがよく見えてきます。

また、そういう生き方をすることで、まだ来ぬ将来とその不安がもたらすプレッシャーや、すでに過ぎ去った過去の失敗とそれがもたらす罪悪感から自分を切り離すことができます。

他の人の話にはよく耳を傾け、一人の時には静かに自分を見つめて黙想してみてください。空気が澄んでいて星がよく見えるなら、夜空を見上げてみましょう。都会でも道端の木や鉢植えの花を見ることができます。そういう自然がもたらす美しさをじっくり眺めて味わってみてください。

自然の世界はアディクションの世界とは正反対です。自然を見つめ、生命の喜びや苦闘や神秘をじっと観察することにより、今という瞬間と永遠の時を感じ取ってください。」

 

「あなたが依存症に苦しんでいた日々も無駄ではなかったのです。なぜなら、その脳が弱って、灰色になっていた日々があればこそ、現在の天然色を取り戻しつつある毎日を、よりありありと楽しむことができるからです。普通の人は天然色で当たり前と、ありがたみも何も感じません。まさに苦しんだ分だけ、人生をより深く生きることができるのです。」